実は、音楽はもう二度とやらないと決めていた最終回 

前回の記事の続きになります。


弦楽オケの活動のみならず、大学のハンドベル部とともに演奏活動をしてきた私ですが
そのうち、大学の入学式や卒業式の祝典演奏もするようになりました。

なので、部活動紹介で行うミニコンサートなどの内内の小さなものから
大ホールで行う大きいものまで
人前で演奏するのは大小含めて年間12回程度になっていました。

やはり、本番を何度も経験しますと、目に見えて上達していきました。
しかし、その上達のためにほとんどの時間をヴァイオリンに費やしていたので
周りにいた仲間や後輩たちは「ノリコ先輩やっぱすごいわ。でも…私にはあそこまでできない」と言われるようになりました。

あまりにヴァイオリンにのめり込んでいたので、この世界にどっぷり浸らせた教授でさえ
「異常だ」と言う始末(苦笑

勉強なんてもちろんほとんどやっておらず、
普通なら片手間にサークルという感覚なんでしょうが、
私の場合は片手間に授業という感じでした。

教員免許取得に必要な必修の単位も2回落とし
3回同じ授業受けました(結果、取得できましたが…笑)


つまり、私個人がただ自分の技術を磨いていくだげなら何も問題なかったのですが
私には大学にオケをつくるという使命がありました。

弦の人口はやはり少なく、初心者を育てていくことが最重要だったのです。
しかし、初心者にとっては私が壁になっていました。

憧れを抱いてくれる人もいました。
あんな演奏をしたい!と思って頑張ってくれる人もいましたが、
多くは「あそこまでできない」と思い去っていきます。

私自身も完璧主義的なところがあり、自分のみならず他人にも多くを求める癖がありました。
楽しくできるような工夫を考えても、演奏会が近づけばやはり指導も熱心になるし、それが初心者たちには大きなプレッシャーだったのです。

教授にも「完璧を求めてはだめだ。完璧はあり得ないのだから」と何度も諭されては
自分はそんなに完璧を求めているのか?と自問自答する毎日

いろいろなことを譲歩して、「週三回ある合奏には必ず参加しよう」というルールさえも守られない秩序のなさに
どうしたらよいかと悩み、悪戦苦闘する日々でした。


最初は調子よく楽しくアンサンブルしていた経験者同士のメンバーも、
演奏の技術向上を目指すあまり対立も激しくなり

それを納められない、まとめられない私や部長は何度も教授に相談しに行っては
号泣して、泣き腫らし(苦笑


そんなこんなで、いろいろな問題を抱えたオケでしたが、
私が大学3年の時に、同好会から部活に昇格し、「string orchestra部」と名乗ることができました。
やはり部活ともなれば、大学からもらえる費用も多く、
チェロやコントラバスを購入し、いよいよ弦楽オケっぽいことができるようになりました。
そして、この年に念願だった定期演奏会を開くことに!!
私たちだけでは2時間程度の演奏をすることができないので、大学の合唱部とのジョイントコンサートという形式でやりました。


そして結成4年目…私がいよいよ卒業する年は
いろいろな事情もあり、私がコンミスをすることになるという大変な年でもありました。
そして、新たに頼もしい経験者が入部してくれたこともあり、この年の定期演奏会では
管楽器の賛助を募り、フルオーケストラの曲に挑むことに!

この最後の年の定期演奏会は本当に大変でした。
急激に演奏する曲が難しくなり、初心者たちはもう完全にお手上げ状態。
毎日日替わりで練習を見て回り、パート練習をしたり、コンミスとして全体の演奏をまとめていったり
演奏をするというだけでも大変なことでしたが

なぜか私がステージマネージャーとしてステージの構成や
プルト表の作成をやり…

はたまた、管の人たちとの連絡役
演奏会場への打楽器等の運搬の指揮

私…正直倒れるんじゃないかと思った(笑


部活のためにいろいろ仕事をしているので、自分の練習がなかなか進まず
毎日くたくた


そんなこんなで迎えた本番でしたが、初心者の集まり故、完成度は低い演奏会でしたが
好意的に受け止めてくれる意見もあり、まぁ…なんとか無事に終えられたという感じでした。

感動的な演奏会になるかと思いきやそうではなく、あまりにあっけらかんとした感じでした。
後輩たちは「絶対にノリコ先輩を泣かせるんだ」と息まいていましたが

私はというとこの演奏会で最後だという感覚が全くなく、まるで来年も演奏するみたいな感覚でした。
実際に卒業した後も毎年OGとして定期演奏会に参加しています(笑

そうして、フルオーケストラの曲をやったことで、私が卒業した後
弦も増えたことだし、そろそろ管も入れてフルオケにしよう!!となり

名前も「string orchestra」から「管弦楽団」になりました。

部長が中心になって働きかけて、私たちがまいた種がようやく芽吹いた。

卒業後、正直本当に後輩たちがやっていけるのか不安でしたが
どうやら、当人たちが一番不安だった模様。会うたびに「戻ってきて」と言われました(笑

でも、彼女たちもたくましいもので、去年の演奏会ではとてもいい演奏をしていたし
進行も運営もテキパキ

もうなんの心配もしていない感じです(*^^*)




7回に渡ってお読みくださった方々、大変ありがとうございました。
最初は、誰がこんなん読むんだ?と思いながら書いていましたが、楽しみにしてくださっている方もいらっしゃって
大変ありがたく、感謝感激です。

いろいろなドラマを書いてきて、今回の記事はとくに大きなドラマもなく終了というあっけない感じですが
私の大学卒業は本当にあっけなかったです。
まるで今後もこのヴァイオリン漬けの生活が続くかのようで、就職してからも続ける気まんまんでした。

しかし、社会に出てみると、自分で時間を作ろうとしないとなかなか楽器に触ることもできず
大学生だったころのような関わり方はできないのだと分かった今は
いつレッスンを再開しようか考えながら教本を練習している日々。。。(日々といっても毎日はできない)

挫折を経験しながらも、また音楽を心の底から楽しみ、好きといえる
そして、こうやってブログを通じながら音楽の輪を作っていける喜び

正直、音楽には大変悩まされたし、苦労も絶えなかったけど

楽しもうじゃないか。音楽を。

技術向上は音楽を楽しむために…自分を表現するツールでしかない。
音楽が楽しいと思う心、音楽を楽しむ心を持つことが

やはり前提なのではないかな。


すぐ完璧主義になって自分を追い詰めやすい私に言い聞かせる言葉として
この場に残しておきます。


長くにわたってお付き合いいただき、ありがとうございました。




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実は、音楽はもう二度とやらないと決めていた6 


前回の記事の続きになります。


私がずっとお世話になっている顧問の教授

彼はオケの他に、ハンドベル部の顧問もやっています。

このハンドベル部ですが、とても精力的に活動しており、
世界大会に出場したり、毎年ハワイで演奏旅行をしたりと、活動が非常にグローバル

そんなハンドベルを作り、育て上げてきた教授は、新しいことに挑戦するのが大好き
新しい道を切り開いていく先駆者なわけです。

そして、そんな教授とハンドベル部…
なんとNHKの番組で千住真理子さんと共演することになりました。
千住真理子さんが大学の音楽室に来て、4mというとても近い距離でプロのソリストの演奏を聴くという
とても貴重な経験をしました。そのときの記事がこちら

そのとき演奏したカノン。とても素晴らしかった。
とても情熱的…バロック時代の曲ですから、あれほどまでに情熱的に弾くのは驚きでしたが
ハンドベルをバックにソロを弾くには、情熱的に弾くのが合っているなと思いました。

そうして大成功に終わった千住真理子さんとの共演。
生のストラド「デュランティ」が聞けて、心もほくほく、モチベーションぐ~んと上がっている中
教授が驚きの一言を言います。

「おまえ、あの千住さんが弾いたカノン練習しておけ。使えそうならハワイ連れてってやるよ」

このハワイというのは遊びに行くわけではなくて
ハンドベル部は毎年2月にハワイへ行き教会や大学などで演奏をする…つまり演奏旅行なわけです。

絶対むりー!!と思いました。実力的にも金銭的にも…
この時、私はまだヴァイオリン歴1年10か月だったし、お金も授業料で消えていく

でも、結果いけないにしても、「連れて行ってもいい」と思われるくらいの力はつけたかった。

なので、カノンを練習することになりました。
しかし、フルートのソロは経験があっても、ヴァイオリンのソロを弾くなんて相当大変なこと。

教授のご子息にもレッスンを付けてもらって、これまためちゃくちゃ練習しました。
オペラで学んだ「より音楽的に弾く」ということ、さらに千住さんの「聴く人に伝える」ということがとても胸に残っていて
中途半端なことはできない。私が持てるすべての労力を注ぎ込んで、今できるすべてのことをやりつくそう…
そう思って練習しました。

楽譜から読み取ったこと…、感じ取ったこと…、私が伝えたいこと…
そのためにはどう弾けばいいか…

初心者なりに頭も心もフル回転して、考えて、考えて練習しました。

その結果、ハワイ行きの切符を手にすることができました。
しかし、問題は金銭面…これは私が細々と貯めた貯金、そして両親の援助を受けて解決し
実際にハワイに行けることになりました。

しかし、ハワイへ演奏旅行に行く前日
ハンドベル部の定期演奏会で、カノンを弾く試練が待っています。

初のヴァイオリンそのお披露目の場となります。
しかもお金を取る演奏会なのです。

そうして今までにないほどの緊張を胸に、足や体がガタガタ震えながらも
全力を尽くした本番…(これも当時の記事が残っていました。)


ミスはあった。でも、これ以上できないほどのベストを尽くせた。当時の持てる力をすべて注ぎ込めた。
そんな演奏ができた感覚があります。


そしてこの本番を経験して…
「音楽やっていてよかった…」「また初めてよかった…!」と心の底から思えました。
また、こんなにも今まで支えてくれた人たちへの感謝の思いが溢れた演奏会も初めてでした。

今思い返しても胸がいっぱいになります。

さて、そんな気持ちでハワイに行った私ですが
初海外で慣れない気候、超過密スケジュール…体調やモチベーション、集中力を維持するのがとても大変で
成功した演奏会もあれば、失敗した演奏会もありました。

その後、私は毎年ハンドベル部と共演し、ハワイへ演奏旅行に行くことになるのです。
一応、「ハワイ演奏旅行」というカテゴリーがあるので興味ある方はどうぞ。
というか最後の年に行った演奏旅行の記録書いていないという…(苦笑

もはや何を弾いたか思い出せない(汗
たしか「oh happy day」と「jupiter」だったような…
フルートは吹かなかったんだっけ?忘れてしまった(^^;


続きはまた今度




そうそう、当時の演奏(練習)が残っていました。

初めてのヴァイオリンソロお披露目で弾いたカノンの練習動画


今聴くと、課題満点だー(汗
課題をたくさん見つけられるということは自分が成長した証ですし

未熟な時の演奏は、それはそれで当時の精いっぱいなのだから良しとします。

実は、音楽はもう二度とやらないと決めていた5 


前回の記事のつづきになります。


ヴァイオリン歴1年ちょっとのド初心者だった私…無謀にもオペラのオケに参加することになります。
ほとんどがアマチュアで構成されていますが、指揮者、コンマス、各パートのトップは東京から呼んだプロの方々。

オペラも市で作ったオリジナルのものになるので、参考になる音源が一切ない中
ヴァイオリン2ndの楽譜をもって参加しました。

当時は大学のオケでも音楽祭での本番を控えていました。
この音楽祭が私のヴァイオリンお披露目デビューとなるわけで、ホルベルク組曲第一楽章の1stを担当していたので

オペラの楽譜のみに集中というわけにはいきませんでした。

技術的にも超未熟、フルオーケストラの経験もなし、
オペラのような大規模の楽譜を読んだこともない。

音楽において、オペラにおいて何が「普通」なのかもわからない…

そりゃもう無謀な挑戦だったわけです。

そして案の定…事件が起きます。


それは東京から呼んだプロの方々が初めて練習に参加した日…


プロ(男性)の方はもちろんトップに座ります。そして2ndにはもう一人プロの方(女性)がいました。
当然アマチュアだった私やほかのメンバーも、プロ同士でプルトを組むと思っていた…のに!!


プロの方(女性)「私よりみなさんの方がオケ練に参加してますから~私は後ろで弾きます」と言って
お願いしても、頑として後ろで弾くと言い張るのです。

それなら、アマオケで活躍している一般参加の方が座るだろうと思ったら
「オケ錬の出席率が高い順で」というのです…

すると必然的に私がトップサイドということに…
いくら初心者だからと主張しても、誰も前に動いてもらえず、私がトップサイドに座ることになりました。


トップサイドに座るということは、弾きながらいろいろなことをしなくてはいけなくなります。

まずは譜めくり。
しかし、私はオケ初心者…譜めくりをするような曲を弾いたこともなく、もたもたして譜めくりに失敗したり
譜めくりが遅くて、隣のプロに迷惑をかけたり

だんだん隣のプロがイライラしているのを、隣で恐怖に感じ…


そして、トップの人は弾きながらボーイングを変更したり決めたりして
曲を弾いている途中でも楽器を下して、ボーイングのしるしを楽譜に書き込んでいきます。

だから、トップサイドに座っている人は、トップが書き入れている間
どこを弾いているかトップが見失わないように弾き続けなければなりません。

しかし、テンポが揺れたり、複雑な音型が続く場面では、ド初心者の私は楽譜を見失います。
音程も外したり、間違えたりします
隣のプロが私のせいでイライラしていることも分かっていたし、余計に縮こまってしまい弾けない…
何小節も楽譜を見失っていると…


ついにプロの方の堪忍袋の緒が切れて…

合奏途中に「ちゃんと弾いてくれないと困るんだよ!!!!」と怒鳴られました。

指揮者も周りのメンバーも驚いて、合奏がとまり…


練習は一時中断…強制的に休憩になりました。



もう私は、泣かないようにするのが精いっぱいで
いろいろな人が声をかけてくれていたのですが、うなずくことしかできず

もうどうやってその後の練習を乗り切ったのか、記憶にありません。


片づけもすべて終わり帰るころには21時、学生集団を暗い中返すわけにはいかないと
顧問の教授を始め家族総出で送迎してもらうことに

その送迎の準備を待っている間

ひたすら泣かないようにしている私に、仲間たちがわざと明るく振舞ってくれるんですね…

人間ってやさしくされると余計に涙が出てしまうんですね。

私はこらえきれずに号泣。

嗚咽をもらしながら、声を上げて泣いてしまいました。


泣きに泣いて、泣いた結果…


過呼吸に(苦笑


送迎をしてくれる教授たちは、私がオケ練で怒鳴られたことは知らなかったので
なぜ私が号泣し、過呼吸にまでなっているのか分からず、オロオロ


すごくみんなに心配されて送ってもらいました(^^;


うぅ。。。今思い返しても涙が出ちゃう(;o;)



そんな事件が起こり…
もうやりたくないと言ってやめてしまう人も珍しくないと思うのですが

私は「怖いけど、ここで逃げだしたら終わりだ。そんな人間にはなりたくない」と…


一度音楽から逃げた私は、もう逃げ出したくはなかった。
そして、無責任に投げ出したくなかった。

ここでまた逃げたら、逃げ癖がつくし、ダメだ。
それに、初心者だからというのは私個人的な問題であって、弾けないままで参加している私が一番悪い。

と自分に言い聞かせて


そのプロの人に会うのはもちろん、オケの練習そのものが恐怖でしたけど、参加し続けました。


そうして、そのうち私がなぜ号泣していたのかが教授やそのご子息の耳にも入り
弦トレーナーを引き受けてくださっていたご子息が、たくさん、本当にたくさんレッスンを付けてくださいました。


もう死にものぐるいで練習しました。
この時ですね。一日に12時間練習したのは

もちろんこれは最長記録ですけど、平均して8時間は弾いていました。

やはり、経験も実力もない私には「がんばる」ことしかできない。
いくら練習しても練習しても迷惑をかけることには変わりはない。それだけは避けられない。
ならば、私はせめてもの誠意を見せようと…

この時からですね~やたら「頑張り屋」になったのは(^^;)
この頑張りすぎる癖が、社会人になってからとても重くのしかかってしまうことになるのですが。
まぁそれはさておき


とにかく練習しまくったわけで
どうやらその誠意が通じたのか、指揮者には本番終わって「2ndがんばったね」と言ってもらえることができました。
やはり迷惑をかけたことには違いなかったけど、申し訳なさの方が何倍もありましたけど
この一言で救われたのも事実。



そして、この試練に耐えた一部始終を間近で見ていた教授
「こいつ根性あるな」と思われ


さらに私の音楽活動が多岐にわたっていくのです。


続きはまた今度。


実は、音楽はもう二度とやらないと決めていた4 

前回の記事の続きになります。



なかなかの金銭苦の中、なんとか自分の力だけで楽器を購入し、練習しまくっていたわけですが
実家通いだった私は19時の電車に乗らないと最寄駅までたどり着けないという時間的制約もありました。

そのため、大学から駅までの移動時間を考えると、どうしても18時頃までしか練習できません。
もっともっと弾きたい。弾き足りなくてうずうずしていたところ

衝撃の事実が発覚します。

教員免許を取得するのに必修となる授業が6限にあるというのです。
この6限に出席すると、私は終電を逃すということになります。

そういう致し方ない理由により、私は一人暮らしをすることになりました。
引っ越しは親に軽トラを出してもらい
家電は親に借金をして買い
住居の初期費用は春休みにバイトしまくって貯めていた貯金で賄い…

一人暮らしを始めてからの2年間は…本当に暮らしていくのがつらかった(ToT)
友人にお金がないことを悟られないように「お弁当手抜きしちゃった~」と言いながら具なし炒飯を食べていたこともしばしば


まぁそんなボンビー自慢はさておき(笑


一人暮らしは大変でしたが、自由になる時間が大幅に増えました!
学校が閉まる20時まで思いっきり練習することができる!!
休みの日には朝の8時から夜の20時まで学校で、家に帰ってからは消音器を付けて音階練習
一日12時間練習という記録も打ち立て(笑


この時は、ヴァイオリンが上手くなりたいという気持ちと同じくらい
経験者の後輩たちの下剋上にあってはいけない!!先輩としての威厳を保てるようせめて足を引っ張らないようにしなくては!!!

という見栄?責任感?よく分からない意地で練習をしていました。


そうやって、朝から晩まで練習していると
大学の事務局の職員には顔と名前を覚えられ、守衛さんには会うたびに「今日もバイオリン?」と声をかけられ
もちろん、いつ大学に行っても音楽室からヴァイオリンの音が聞こえてくるから
顧問の教授にも気に入られました。


この「教授に気に入られる」ということが
今後の私の人生において大変重要な影響をたくさん…そりゃもうたくさん与えていくのです。

その一つが、オペラへの参加ということです。
忘れもしないこのオペラ演奏…当時の記事が「オペラ演奏記録」というカテゴリーで残っています。
興味ある方はどうぞ(学生のときの記事なので文章が幼いです。ご注意を)


ざっくりまとめると、
市でオリジナルのオペラをやることになり、ヴァイオリン歴1年ちょっとのド初心者の時に無謀にも参加。
このオペラは市民でやるのでほとんどがアマチュアになりますが、指揮者、コンマス、各パートのトップは東京から呼んだプロの方々。

私はこのプロの人たちも混ざったオケで、とんでもないことをやらかしてしまうのでした。





続きはまた今度。


実は、音楽はもう二度とやらないと決めていた3 

前回の記事の続きになります。




初めてヴァイオリンを手にして1か月間

ひたすらA線の全弓のみを弾き続け、そろそろ次のステップに進もうかというところ

私はこの時、友人から譲り受けたカルロジョルダーノvs1というヴァイオリンを使っていました。


しかし、顧問の教授から「ヴァイオリンを買う気はないか」と勧められました。
自分のヴァイオリンを買うという考えがこのときは全くなかったので、戸惑っていると
なんだか言い包められて?ヴァイオリンを買わなくてはいけないような感じになりました(笑

自分のヴァイオリンを持てるのであれば良いに越したことはないと分かってはいましたが
問題は金銭面

私は当時、実家から2時間半をかけて通学していたため平日のバイトはできない状況
そして、定期代や昼食代、教科書代など自分で捻出していたため自由に使えるお金は微々たるもの
親に金銭面で頼らない代わりに進学を許可してもらった身でしたので、授業料を奨学金で払い

とてもとても楽器を買うなんてことは考えられませんでした。
ヴァイオリンってどれくらいで買えるのかも全く分からず、教授にどれくらいの金額を用意すればいいのか質問しても
「出せる分だけ出した方がいい」と…

とても悩みましたが
授業料や教科書代、定期券代や交際費、いろいろと予定される出費を計算し
バイトや奨学金で得られる収入を計算し、どう考えてもこれが限界!!という金額が

7万円でした。

そうして、いろいろと捻出した7万円を手に
ヴァイオリン職人さんに相談したところ、本来は10万円するセットだけど
ケースや肩当、松脂などの小物のグレードを下げ

カルロジョルダーノvs4というモデルのヴァイオリンを購入しました。

今や、このモデルはもう作られていないのですが、当時、初めて自分の力だけで楽器を買い
とてもうれしくて写真を撮りました。
今のプロフィール写真はその時撮ったものです(*^^*)


そうして、自分の楽器を手にし練習にもさらに熱が入り
夢中で練習しまくっていたわけですが

もともと「大学にオーケストラを作ろう!」と集まった5人
この時にはもう私とサークル長の二人しか残っていませんでした…

やはり続くわけなかった。けど、私にはやめる気は毛頭ありませんでした。

そうして二人しかいない中

幼少期からヴァイオリンを習っていた教授のご子息に、ヴァイオリンのレッスンを付けてもらえることになりました。

ヴァイオリンの扱い方やヴァイオリンの基礎練習のやり方、右手を鍛えるための準備運動
楽譜から読み解くフレーズ感などなど

本当にたくさんのことを学ばせていただきました!!


そうして、たった二人で細々と練習を続け
大学2年生の春には、「主よ人の望みの喜びを」をサークル紹介のミニコンサートで発表できるまでになりました。

ヴァイオリンがとても上手でハイポジションもこなしてしまうコンマス
幼少期からピアノを習い高校からヴァイオリンをやっていた女の子
ジュニアオケで小学生からヴァイオリンを続けている女の子
チェロがやりたくて入った初心者の女の子

が新たなメンバーに加わり(本当はもっといたけど、残ったのは結局このメンバー)

愛好会(サークル)から同好会に昇格することができました。
同好会になると大学から部費の申請ができ、今まで細々と集めてきた会費も合わせて楽器も買うことがでしました。








経験者が入ってくれたおかげで、さまざまな音楽活動ができるようになりました。
そしてこのころの私は、自分の技術を高めること
より良い音を出したり、メンバーとより良い表現をして曲を作っていくことに夢中でした。

音楽を楽しむことができていた。ヴァイオリンがとにかく好きになって、ヴァイオリンを触らない日なんてないくらい
毎日毎日飽きもせず何時間も練習していました。

続きはまた今度





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